# 唯識 [唯識 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/唯識) **唯識**(ゆいしき、[サンスクリット](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88 "サンスクリット"): विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、**唯**(ただ)、8種類の**識**(八識)によって成り立っているという[大乗仏教](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99 "大乗仏教")の見解の一つである([瑜伽行唯識学派](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE "瑜伽行唯識学派"))。ここで、8種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら8種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の[空](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_\(%E4%BB%8F%E6%95%99\) "空 (仏教)")(くう)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう[唯心論](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E5%BF%83%E8%AB%96 "唯心論")とは、基本的にも、最終的にも区別される(後述)。