# 思想とは真理に対する王手である > 思想とは、真理に対する王手である。思想をもとうとする者は、そのまえに、真理を欲し、真理を要求する遊戯の規則を認める用意がなくてはならない。 [思想とは真理に対する王手である | シピオンこと神代和明の日記](https://ameblo.jp/dreamgame/entry-12440019678.html) 「思想」とは真理に対する王手である(人間は真理に到達することはできない。だからこそ、常に真理に対して王手を指そうとする「意思」こそが重要である)。「思想」をもちたいと望む人は,その前に真理を欲し,真理が要求するゲーム(型・フォルム)のルール(規則)を認める用意をととのえる必要がある。思想や意見を調整する審判や,議論に際して依拠しうる一連の規則を認めなければ,思想とか意見とかいってみても無意味である。そうした(面倒くさい)規則こそ文化の原理なのである(そういう面倒くさいことに挑めることが、他者と共存ができる粘り強さを持った人間であり、自由主義、民主主義の本質である)。 - [大衆の反逆 - tkgshn](https://scrapbox.io/tkgshn/大衆の反逆) - [僕らは中心のまわりをうろうろすることしかできない。 | Wasei Salon(ワセイサロン)](https://wasei.salon/blogs/450124e1d4a9) - [dokusyokai270606ueno.pdf](http://www.meiji-yuben.net/rec/2015/dokusyokai270606ueno.pdf)